「舞姫」(森鴎外)①

冒頭で丁寧に描かれている封建人・太田豊太郎

「舞姫」(森鴎外)
(「森鴎外全集1」)ちくま文庫

ベルリン留学中の豊太郎は、
不幸な少女・エリスと出会い、
恋に陥る。
同郷人がそれを讒訴したために、
豊太郎は官費支給を打ち切られる。
豊太郎はエリスの家に身を寄せ、
つつましやかな生活を営む。
やがてエリスは懐妊し…。

何年かぶりで再読しました。
やはり新しく気付かされた点が
多々ありました。
今回の再読で注目したのは
冒頭部分です。
学生時代に初読した際、
全体の4分の1にもあたる
まどろっこしい冒頭部分が
なぜ必要なのか
理解できないでいました。
「ある日の夕暮なりしが、…」からの、
エリスとの出会いから始まるので
十分ではないかと思っていたのです。

実はこの冒頭部分にこそ、
作品を読み解く重要な鍵が
隠されていることを知ったのは
10年ほど前に再読したときでした。
さらに10年経って読むと、
鴎外はこの部分を
実に丁寧に編み出していることに
気付かされます。

まず、留学前の豊太郎が
ひたすら学問に励み、
立身出世を夢見て
成功を手中にしつつある様子が
描かれています。
なぜ彼はそこまでして
出世を夢見たのか?

「余は幼き比より
 厳しき庭の訓を受けし甲斐に、…、
 太田豊太郎といふ名は
 いつも一級の首にしるされたりしに、
 一人子の我を力になして
 世を渡る母の心は慰みけらし。」

厳格な家に育ち、
家の名誉を大切にしている姿が
そこにあります。

「洋行して一課の事務を
 取り調べよとの命を受け、
 我名を成さむも、
 我家を興さむも、
 今ぞとおもふ心の勇み立ちて、…、
 遙々と家を離れて
 ベルリンの都に来ぬ。」

名を成す、家を興す。
そうです。
ここに見られるのは江戸時代から続く、
封建的な思想なのです。
太田豊太郎は
一個人の太田豊太郎ではなく、
家の嫡男としての太田豊太郎であり、
日本国の官吏としての
太田豊太郎なのです。

「余は模糊たる功名の念と、
 検束に慣れたる勉強力とを持ちて、
 忽ちこの欧羅巴の
 新大都の中央に立てり。
 何等の光彩ぞ、
 我目を射むとするは。
 何等の色沢ぞ、
 我心を迷はさむとするは。」

だからこそ、
きらびやかなヨーロッパの
社交界を目の当たりにしても、
微塵も揺らぐことなく
学問に精進できたのです。

この封建人・豊太郎は、
しかしヨーロッパの
自由の風に吹かれる中で、
次第に自我に目覚めていきます。
その先にエリスの悲劇が
待ち受けているのです。

豊太郎を「明治のクズ男」的視点で
捉えるような作品評が、
ネットには少なからずあります。
上っ面をなでるような読み方では
到底この作品の
深奥に迫ることはできません。

(2019.6.26)

【青空文庫】
「舞姫」(森鴎外)

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